『人生の法則』〜『致知』総リード特別篇〜 藤尾秀昭・著人生の法則より
関を越える
関。
「かん」とも「せき」とも読む。
「出入りを取り締まる門」と辞書にはある。
江戸時代、国境に関所を設け、
人や物の往来を取り締まった。
通行手形がなければ関所を越えて
他国へ行くことは許されなかった。
容易に通過できない関所を難関といった。人生にも関所がある。
「人生はしばしば出合わねばならぬ関所を
幾つも通り抜ける旅路である」
とは安岡正篤師の言葉である。
関所を越えることで
人は人生に新しい世界を開いていくのである。
禅家の修行では、厳しさが極点に達したところで、
よく「関」の一語を浴びせかける、という。
それを越えることで、
禅者は無礙自在の境地に到達していく。
在家も同じだろう。
関は人間を磨く通過門である。
本誌は、人生の関所を越えてきた
たくさんの事例を紹介し続けてきた、といえる。
なかでも、これほどの難関を越えてきた例は滅多にあるまい、
と思われる人がいる。千二百人の聴衆の心を深い感動で包んだ
福島智さん(東京大学教授)である。
福島さんのお話を初めてうかがった時、
肌がチリチリ痛むような衝撃を覚えた。
福島さんは三歳で右目を、九歳で左目を失明、
全盲となった。生来が楽天的、と本人はおっしゃるが、
視力を失っても音の世界がある、
耳を使えば外の世界と繋がることができると考え、
実際、音楽やスポーツや落語に夢中になっていた、という。
だが、さらなる過酷な試練が全盲の少年を襲う。
十四歳の頃から右耳が聞こえなくなり、
十八歳、高校二年の時に残された左耳も
聞こえなくなってしまったのである。
全盲聾——光と音からまったく閉ざされた世界。
福島さんはその時の状態を
「真っ暗な真空の宇宙空間に、
ただ一人で浮かんでいる感じ」
と表現している。
なぜぼくだけこんなに苦しまなければならないのか、
これから先、ぼくはどうやって生きていけばよいのか……
不安、恐怖、絶望。懊悩の日々が続いた。そんなある日。
母親の令子さんが福島さんの指を
点字タイプライターのキーに見立てて
「さとしわかるか」と打った。
「ああ、わかるで」と福島さんは答えた。
母親のこの指点字は壮大な転機となった。
福島さんは真っ暗な宇宙空間から
人間の世界に戻ってきたのだ。
その時の感動を福島さんは詩に綴っている。指先の宇宙
ぼくが光と音を失ったとき
そこにはことばがなかった
そして世界がなかった
ぼくは闇と静寂の中でただ一人
ことばをなくして座っていた
ぼくの指にきみの指が触れたとき
そこにことばが生まれた
ことばは光を放ちメロディーを呼び戻した
ぼくが指先を通してきみとコミュニケートするとき
そこに新たな宇宙が生まれ
ぼくは再び世界を発見した
コミュニケーションはぼくの命
ぼくの命はいつもことばとともにある
指先の宇宙で紡ぎ出されたことばとともに
この詩の意味するものは大きい。
福島さんだけではない。
すべての人の命は言葉とともにある。
言葉のないところに人間の命はない。
福島さんは身をもって、
そのことを私たちに示してくれている。同時にもう一つ大事なこと、
絶望の淵から人間を救うのは言葉である、
ということ。
どのような人生の難関も言葉という通行証を
手にすることで乗り越えることができる、ということ。
そのことをこの詩は私たちに教えている。福島さんのお話を聞き、
著書を読んで強く感じたことがある。
福島さんには四つの特質がある、ということである。一つは非常に明るいこと。
二つはユーモアがある。
三つは常に人に何かを与えようとしている。
そして四つは、
自分が主語の人生を生きている、ということ。そこには被害者意識は微塵もない。
被害者意識で生きている人は
何ごとであれ人のせいにする。人のせいにしている人に難関は越えられない。
人生は開けない。この四つの資質こそ、福島さんをして、
普通の人なら絶望してしまいかねない
人生の難関を越えさせた秘訣であるように
思うのである。
これほど力のある文章はない。
言葉に重みを感じる。
実体験であるからか。
明るさ、ユーモアさ、常に人に何かを伝えようとしていること、そして、自分が主語の人生を生きること。
少しでも参考にして修養に努めていきたい。
毎日トイレ掃除181日継続
いよいよオリンピック開幕。
1年越しである。
このような開幕を誰が予想していただろうか。
まさに難関である。
オリンピックがあろうがなかろうが、毎日トイレの便器を磨くことには変わらない。
朝活109日継続
今日も朝起きて朝散歩に出向いた。
気持ちがいい。
朝のコーヒーを飲みながらの読書、最高だ。
ジム
肩周辺の筋トレと20分程度の有酸素運動を実施した。
いい感じで汗をかいた。
すがすがしい。
体も絞れてきた。
コメント