時の物さしをもつ生き方
森信三・著『幻の講話』第4巻より
最後にもう一度念のために、
われわれが一応実践的計画的な
立場に立って考える時、
重要な意味を持ってくる「時」の節ともいうべき
ものについて考えて見ましょう。それについて、
最初の最も短い「時」の目安は3日であって、
その次は一週間というものでしょう。そして次は、ヤハリひと月というもので、
つぎは3ヶ月というわけです。そしてその次は半年であり、
そして一応一年というのが、
大きな〆括りになるといってよいでしょう。ところで、一年の次はとなると、
ヤハリ3年でありまして、
古来「石の上にも三年」と
いわれるのもこの故です。そしてその次はとなると、
ヤハリ5年というものでしょう。そして5年の次はヤハリ10年でしょうが、
人と仕事によっては、
その間に7年または8年という
飛び石を置いて考える場合もありましょう。しかし結局は10年というのが、
われわれの計画的実践の立場から考えた場合、
一応最大の見通しといってよいかと思われます。そして人生の「達人」といわれる様な人はもとより、
たとえそこまでは行かなくても、
いっかどの人物といわれるような人でしたら、
必ずやそこには、上に申したような、
一種の見えない「時」の物さしに照らして、
自分のあゆみを考えながら、
一歩一歩真摯に人生と取り組んでいる人と
申してよいでしょう。
10年という月日で、人は多きく生き方を変える。
そう実感している。
10年前の自分と今の自分を比較すると、まるで別人に思える。
10年前の自分には若さといったかけがえのないものをもっていた。
若いというだけで魅力的だ。
当時、いずれ無くなってしまう若さに気づき、技量を高めようと考え始めていたのを思い出す。
学び続けていると様々な出会いが訪れた。
自分のステータスに相応しいものが人生には訪れるものだと今振り返ると思う。
毎日トイレ掃除183日継続
トイレ掃除なんてする必要あるのか。
学生時代の自分は、自分でトイレ掃除をしたことなんてなかった。
今思えばなんてだらしないのか。
「無知の知」とソクラテスは説いたと聞くが、本当にそう思う。
未熟者にもかかわらずえらそうにしていた自分がいた。
何も知らないのに知った気になっていた自分がいた。
恥ずかしい。
だが、過去を未来を輝かせるための財産とすべく振り返りを行うことを続けていく。
朝活111日継続
ぞろ目だ。
だから何だというのか。
ぞろ目だ。
今日という日は二度と訪れない。
人生二度無し。
そういうことだ。
コメント