『平澤興講話選集「生きる力」』より
プラスの師匠とマイナスの師匠
(昭和49年7月12日)
同時に「他人の振り見てわが振り直せ」
でありますが、それはだいたい
悪いことをやっておる、感心しないことを
やっておる人の振りを見て
自分の振りを直せということであります。これは裏から申しますと、
間違ったようなことを
やるような人間でも師匠とせよと
いうことにもなるのであります。師匠にはふたつありまして、
よいことをするのはそのまま真似をしていい、
プラスの師匠であります。
悪いことをして、
やってはならんようなことをして、
それを真似をすまいという人は、
師匠は師匠だがマイナスの師匠であります。そういうふうに見ますと、
世の中のもの、こちらさえしっかりしておれば、
師匠でないものはないわけであります。あれはダメだというふうに捨ててしまうのは、
気の小さい、奥の浅い人間がやることであります。どんな人間に対しても、悪い人なら
ばその人の真似はしない、
運よくばこちらの真似を
してもらえれば結構でありますが、
そこまでいきますと
少しあつかましくなりますから、
これは賢い人ほど悪い人までも
師匠にするのであります。賢くない人は、
かなり賢い人を見ても
なかなか師匠にはならんのであります。
ですからこのことは、
考えようによっては
世の中の人のよい人は
狭い意味での師匠であり、
真似をしてもいいという師匠であります。悪い人は、
普通は師匠とは申しませんけれども、
やっぱりそんなことをするなと
教えてくれるのでありますから、
真似をしてはならん師匠であります。
いうならマイナスの師匠であります。
プラスマイナスの別はありますけれども、
まあこちらさえ落ち着いて広い心をもっておれば、世の中の人すべて、
師匠でない人はないということにも
なるかと思うのであります。
これはなんでもないようなことでありますが、
毎日憤慨して生きるよりは、
ずいぶんと嫌な人にも会うけれども
ああいうことをしてはならんのだなと、
こっちは授業料を払っておるわけではありませんから、
ただで教えてくださるのでありますから、
ありがたいと思うのであります(笑)。そういうふうに考えておりますと、
世の中も広々としてきますし、
またたとえ悪いことをやっても
その人に人間としての愛情を
持つことができるかと思うのであります。
すべてはこちらの心の持ちよう。
そこから学ぶことができるのか、学ぶことができないのか。
それは自分しだいだということ。
周りからよき師匠と言われた名だたる人と出会ったとしても、
その場で成長できるのか、変わらないのか、衰退していくのか、
結局は自分しだいだということ。
プラスの師匠とマイナスの師匠をもつ。
これは金言だと思う。
毎日トイレ掃除212日継続
今後AIがさらに進化し、ロボットがトイレ掃除をするようになったら・・・。
それでもトイレ掃除は続けるのか。
そのロボットの性能にもよるかもしれない。
では、そのロボットが人間と変わらず細部まで気に掛け、器用な掃除が可能だったとしたならばどうか。
それでもトイレ掃除は自分がするのか。
トイレ掃除の目的によるのだろう。
トイレをピカピカにするという、いわゆる物理的な理由のみで、今毎日トイレ掃除を継続しているわけではない。
トイレ掃除を通して得るものがあると信じているからだ。
それは何か。
これまでも感じてきたものがあるが、今後されに求めていく。
ゆえに継続していく。
朝活140日継続
朝散歩と朝読書。
日課である。
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