境野勝悟・著『日本のこころの教育』より
お母さん
僕が小学校の一年のときのある日、
「ただいま」って家に帰ると、
お母さんがいないときがありました。お父さんに、「お母さんどうしたの?」と聞くと、
「稲刈りで実家へ手伝いに行ったよ」と言う。そして、
「きょうはお母さんがいないから、
おれが温かいうどんをつくってやる」と言って、親父がうどんをつくってくれました。
ところが、温かいうどんのはずなのに、
お父さんのつくったうどんはなぜか冷やっこいんです。一方、「ただいま」と家に帰って
お母さんがいるときは僕はいつでも
「お母さん、何かないの?」と聞きました。すると、母は
「おまえは人の顔さえ見れば食い物のことばっかり言って、
食いしん坊だね。そこに、ほら、芋があるよ」って言う。
そういうときは決まって、
きのうふかしたさつま芋が
目ざるの中に入っていました。かかっているふきんを取ると、
芋はいつもひゃーッと冷たいんです。だけれども、お母さんのそばで食う芋は
不思議に温かかった。これは、もしかすると
女性には理解できないかもしれないけれども、
男性にはわかってもらえると思います。お母さんが家にいると
黙っていても明るいのです。
あたたかいのです。それで、わたくしたち男は自分の妻に対して、
「日身(カミ)」に「さん」をつけて
「日身(カミ))さん」と言ったんです。丁寧なところでは、これに「お」をつけて
「お日身(カミ)さん」といったんですよ。何でしょうか。
この「日身(カミ)」という意味は?
「カ」は古い言葉では「カカ」といいました。
もっと古い言葉では「カアカア」といった。
さらに古い言葉では「カッカッ」といったんです。「カカ」「カアカア」「カッカッ」
これが「カ」となるんですね。「ミ」というのは、
わたくしたちの身体という意味です。ですから、「日身(カミ)」とは、
わたくしたちの身体は
「カカ」の身体である、
「カアカア」の身体である、
「カッカッ」の身体であるという意味なんです。では、「カカ」「カアカア」「カッカッ」という音は、
古代では一体何を意味したのでしょうか。「カッカッ」というのは、
太陽が燃えている様子を表す擬態語でした。「カッカッ」とは、実は太陽のことを指したのですね。
「カアカア」「カカ」という音も同様です。つまり、わたくしたちの体、わたくしたちの命は
太陽の命の身体であるということを、
「日身(カミ)」(太陽の身体)と言ったんです。「カミ」の「カ」に「日」という漢字が
当てられているのを見れば、
「カ」が太陽のことを意味している
ということがわかるでしょう。「日身(カミ)」とは、
太陽の体、太陽の身体という意味だったのです。お母さんはいつも明るくて、あたたかくて、
しかも朝、昼、晩、と食事をつくってくださって、
わたくしたちの生命を育ててくださいます。
わたくしたちの身体を産んでくださいます。母親というのはわたくしたちを産み、
その上私たちを育ててくれます。母親は太陽さんのような恵みの力によって
わたくしたちを世話してくれる。母親はまさに太陽さんそのものだということから、
母親のことをむかしは
「お日身(カミ)さん」といったのです。
毎日トイレ掃除231日継続
信じ期待し投げかけた。
その思いに応えてくれた。
うれしかった。
創造力。
できないと決めつけてしまうのではなく、
どうしたらできるのかを考える。
例え茨の道となろうとも、
たった一度の人生、
そちらの道を選択し歩んでいく。
命の炎を燃やしていく。
伝播していくと信じて。
一つの分岐点となる一日だった。
期待通りの道を進むと予感している。
朝活159日継続
昨年よりも今年の自分。
自分自身がアップグレードしていなければ、
言葉の重みなんてなくなってしまう。
人を変えようとする前に、
自分自身をアップグレードさせていくための行動をしていく。
『あの人』が言うならば。
そう思われるような『あの人』になれるよう精進していく。
想像し、創造していく。
さぁ、これからだ。
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