とかく人間というものは、
地位とか学歴とかに引掛っている間は、
真に徹底した生き方はできないものです。
学歴というようなけち臭いものに引掛っている間は、
その人の生命は十分には伸び切らないからです。
もちろん一方では、人間は自分の地位、
さらには学歴というようなものについての
謙虚さがなくてはなりません。
しかしながら、その内面精神においては、
一切の世俗的な制約を越えて、
高邁な識見を内に蔵していなくてはならぬのです。
すなわち外なる世間的な約束と、
内なる精神とを混同してはならぬのです。
そもそも人間というものは、
その外面を突き破って、
内に無限の世界を開いていってこそ、
真に優れた人と言えましょう。
同時にまたそこにこそ、
生命の真の無窮性はあるのです。
諸君らがそれぞれ自分の心を鍛錬して、
そういう境に至ることが、
私には修身科の真の眼目だと思われるのです。
そしてそのための、
最も優れたお手本の一つとして私は、
ここに、十五年前までは、
この日本の国土の一隅に呼吸していた
赤彦という人間を、諸君らにご紹介するわけです。
赤彦は長野師範を出て、訓導もし、校長もし、
視学(今で言えば指導主事)もやった人です。
ですから諸君らには、
最も縁の深い巨人と言ってよいでしょう。
私は歌を詠むということも、
修養上一つの有力なてだてだと思います。
さて、われわれのこの人生は、
二度と再び繰り返し得ないものであると言っても、
諸君らはあまりたいして驚かないかも知れません。
またそれは一面からは、
もっともなことでもあるわけです。
現にかく申す私なども、
諸君らくらいの年頃には、
この人生の最大事実に対しても、
一向に無関心でいたからです。
しかしながら、たとえ諸君らといえども、
自分たちの周囲を見回してみたら、
この点に関する幾多の実例を見られるはずです。
否、幾多の実例どころか、一体どこに、
その例外と言い得るものがあるでしょうか。
そもそもこの世の中のことというものは、
大抵のことは多少の例外があるものですが、
この「人生二度なし」という真理のみは、
古来只一つの例外すらないのです。
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