毎日トイレ掃除193|朝活121|父と子

【トイレ掃除】

「父と子」

藤尾秀昭・著『人生の法則』より

父は中学校の校長をしていた。
自分が負けず嫌いだったから、
娘に対しても小さい時から
「偉くなれ」と言って育ててきた。
大きくなると、さらにその上に、
「人よりも偉くなれ」と育てた。

小学校から高校まで、
娘は順調に伸びていった。
だが、東京の大学に進むとそうはいかなくなった。
いくら努力しても自分より優れた人が数多いる。
娘は絶望し、電車に投身自殺をした。

「両親の期待にそうことができなくなりました。
人生を逃避することは卑怯ですが、
いまの私にはこれよりほかに道はありません」

残された手紙にはそうあり、
続けてこう書かれていた。

「お母さんほんとうにお世話さまでした。
いま私はお母さんに一目会いたい。
会ってお母さんの胸に飛びつきたい。
お母さんさようなら」

これを読んだ母は狂わんばかりに
娘の名を呼び号泣した。
この父は東京家庭教育研究所の創設者、
小林謙策氏(故人)。

小林さんは言う。

「子どもは這えば立ちたくなり、
立てば歩きたくなり、
歩けば飛びたくなる。
これが子どもの自然な姿。
子どもは無限の可能性を持って
伸びようとしている。
それなのに私は愚かにも
“人より偉くなれ”と言い続けてきた。

“自分の最善を尽くしなさい”だけで、
娘は十分に伸びることができたはず。
私は娘の死によって、
家庭教育の重要性を痛感しました」

以後、小林さんは家庭教育の探求と普及に
生涯を捧げ、平成元年に亡くなられた。

自分の最善を尽くしなさい——
一人娘の自殺という悲痛のどん底で
掴んだ父としての覚醒である。
ある宗教新聞に掲載されたという
死亡告知も忘れられない。

「夏の休みに帰寺中の光永玄雄事、
もう今日は遅いから泳ぎに行くなと申候に、
竹馬の友等の誘い故ともかくも
前の海に泳ぎに行き申候処、
二度目の水泳中、
心臓マヒにて俄かに若き人生を終り申候。
存生十八年、学は竜大在学中、
今さらに夢に夢見る心地致し居り候。
何ごとも宿業に非ずということなしとは
お聞かせにあずかり居り候ものの
凡情やる瀬なく存じ居候。

右、同窓の諸賢子にお知らせ申候。
永劫のお別れと相成申候。
悲泣雨涙」

大事な跡取りを亡くした悲しみが
行間から立ち上ってくる。

十億の人には十億の父がいるが、
その父と子のありようは千差万別である。
父と子の理想の姿というものはあるのだろうか。

孟子は「父子の間は善を責めず」と言い、
「父子親あり」と言っている。
父と子の間はああせいこうせいということは
あまり言わないほうがいい、
父と子の間は親しみこそが
大事だというのである。

小泉信三とご子息はまさにそういう父子だったといえる。
出征し戦場に行く子に宛てた父の手紙がある。

「吾々両親は完全に君に満足し、
君をわが子とすることを
何よりの誇りとしている。
僕は若し生れ替って妻を択べといわれたら、
幾度でも君のお母様を択ぶ。
同様に、若しもわが子を択ぶということが
出来るものなら、吾々二人は必ず君を択ぶ。
人の子として両親に
こう言わせるより以上の孝行はない」

安岡正篤師はその著『日本の父母に』の中で、

「父は子どもの敬の的、母は愛の座」

と説いている。

父は子どもの尊敬の対象であれ、
母は子どもを愛で包む存在であれ、
というのである。

愛だけでは人は育たない。
愛とともに敬するものを持って初めて
人は人となり、成長する。
拳拳服膺したい教えである。

毎日トイレ掃除193日継続

トイレの便器と床を磨いた記録である。
ただそれだけの記録。

朝活121日継続

朝散歩では犬の散歩をしている方とすれ違った。
会釈をして挨拶を交わした。
ワンちゃんはしっぽを振っていた。
散歩が好きそうだ。

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