クレームの電話の吉と凶とを分けるもの
竹村亞希子・著『経営に生かす易経』より
企業活動にたとえてみれば、
一本のクレームの電話があったとすると、
これは一つの兆しなのです。その後の三、四回までのクレームの電話は
吉でもなく凶でもありません。この段階ではまだ吉か凶かはわからず、
易経にはそれは「小疵(しょうし)」と書かれていて、
小さな傷にすぎないというのです。吉と凶を分けるのはクレームの電話があった際の、
企業の姿勢、すなわち「悔か吝か」で決まるのです。たとえば、材料の牛乳や卵の残り物を捨てるのは
もったいないからといって、
三日間ぐらい賞味期限を延ばし、
その分の経費を節約して儲けようとする
食品会社があったとします。そこに消費者から腹をこわしたという
クレームの電話が来た時には、
その原因はすでに企業側は知っていることで、
これが公になったらクレームどころではなく
スキャンダルになります。そのスキャンダルによって社会問題となり、
企業倫理や企業体質が問われて
老舗でさえも潰れてしまうかもしれません。クレームもなく儲かっている間は
不正をなかなか止めることができません。しかし観る力のある人は、
数本のクレーム電話が来た時に原因に思い当たり、
ゾッとして身体も心も震えます。しかし観る力のない人は
「腹をこわしたといっても、死ぬわけではないのだから」
と軽い判断をして、クレーム処理ばかりを
指示するだけになってしまいます。その兆しを観る力のある人は、
クレームという天の声が恐ろしくなり、
怯えて後悔します。それを易経では「悔(かい)」といいます。
やってはいけないことをやってしまったという後悔は、
このままでは会社が崩壊しかねないので、
今までのやり方を改めようと
すぐにシステムを変えるように動きます。後悔して改めると「吉」に向かいます。
しかしすぐに「吉」という結果が
得られないところに難しさがあります。これまで不正で経費を節約していたものを
改めるのですから、あらたな経費がかかってしまうし、
新しくシステムを導入しようとすれば
その分の投資が必要になります。また社員の教育が必要ですし、
その他にもいろいろと手を打たなければなりません。要するにお金がかかることが多いし、
手間暇がかかります。すると今までの利益が減ってしまうことになるので、
しばらくは吉に転じているとは
見えにくい期間が続きます。
実はこれが膿出しの期間です。今までの膿を全部出し切ると、
「窮まれば変ず」となって企業の地道な努力が実り、
変化し始めるのです。それが底力となり、
「あの会社はよくなった」とか
「味もサービスもよくなった」という声が
聞かれるようになります。ゆるぎない信用を、
従来よりも得ることになっていきます。自動車でも時々リコール問題があります。
リコールにはお金がかかりますが、
それを惜しんで隠蔽してしまうと、
後々に大きな問題となって取り返しが
つかないことにもなります。しかし誠実にリコールをすれば、
もっと大きな信用が回復することになるでしょう。とことん膿を出し切ると「窮まれば変ず」となり、
ここから吉になっていきます。
この文章を読み、俯瞰的に物事を見る力の必要性が浮かんだ。
目先のことしか考えない、目先の利益・不易しか見えなくなってしまうのが人間の本能の部分ではないか。
そういった場に出会った時こそ、俯瞰的に今を、現実を見抜く。
見通しをもった一手を一つずつ打っていく。
だが、その過程では間違いなく不易を被る。
それが分かっていてなお、誠の一手を打っていけるか。
その過程を、「膿を出し切る」と述べている。
まさに膿だ。
だが、出し切った先に吉が待っているという。
これは成功体験がなければ難しいことだろう。
小さなことから信念を貫き、志をもって経営していく。
トップに立つものとしての信念こそが、根底の問題なのだろう。
だからこそ、信念や志、思想の部分を磨き高めていく生き方をしていく。
精進し続ける生き方をしていく。
その積み重ねがあってはじめて、「膿を出し切る」といった道を歩むことができるのだと思う。
毎日トイレ掃除215日継続
淡々と便器を磨く。
淡々と。
何か急激に一所懸命磨くわけではない。
空気を吸うようにトイレの便器を磨く。
215日継続中。
朝活143日継続
ほんの少し雨が落ちてくるのを感じたが、朝散歩はなんとか傘無しでできた。
朝活と名付けた朝の活動も143日目か。
特にすごいことをやっているわけではない。
ただ、朝散歩し、朝読書をしているだけだ。
たったそれだけである。
筋トレをメニューに入れようかと考えたりもするが、
そこは無理せず、小さなことを細く長くやっていく。
そんなほんの小さなものが今の朝活だ。
朝活143日。
ジム
ジムでは懸垂をメインにトレーニングをした。
腕ではなく、広背筋に負荷を感じながら行うことができた。
1回もできなかった懸垂が、筋肉に問いかけながらできている。
こんなことも小さな自信になっている。
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