「顔は心の窓」─顔を見ればその人がわかる
『平澤興講話選集「生きる力」』より
いつも申します通り、身体の中で
はだかになっておるのは顔だけであります。化粧をしましても、塗るだけでありますから、
それは目の慣れない人から見れば
ひととおり綺麗でありますが、
化粧の美は本当の美ではありません。慣れた目から見ますというと、
化粧も遠くに飾っておれば結構ですけれど、
話をして、一度か二度笑わせてみれば、
その人のもとの顔が出るのであります。
ごまかすことはできません。一度笑わせたあとに、一番もとの顔になります。
鬼のような顔は上手に笑っても、
きれいな顔が笑っても、笑ったあとの瞬間の表情を、
顔を見れば瞬間であります。もとの顔であります。これはおそろしいものであります。
ですから私、いつも申します通り、
ごく大事な人事には書いた履歴書はとりません。
人からも聞きません。人から聞いても、その人の言うことはあてになりません。
書いたものもあてになりません。なぜなら、昔はちょっと面白くなくて罪を受けた、
罰を受けたという人でも、それを通り越して、
乗り越えて、さらに立派な人になっておるんなら、
昔のことを責めることはないと思うのであります。
私はそう思います。むしろ昔間違いをおかして
今日は普通の人より偉くなっておるという、
その人の努力はたいしたもんであります。私は大学におります時も、
重要な人事は決して人に聞きません。人に聞きますというと、
本当にいい人が悪口を言われる場合があります。書いたものを見ても、
なんだか途中に妙なところがあります。
そんなものに気をとられますと、
適切な人事はできません。まず、真っ先に会う。
会ってしばらく話をしておりますと、
これはもう、誰がどう言っても確かであります。まあ決してということが言えるかどうか、
私の経験の範囲内では、私は幸い
「決して」という思い間違いを
したことはありませんでした。これはいい人だと思ったのに、
あとから「なんと」ということは、一度もありません。しかしまあ、私は幸運であったと思います。
だから、決してとはよう言いませんけれども、
まず間違いはないのであります。顔ははだかであります。
顔は心の窓であります。
心がちゃんと顔に出ておりますから、
自信とかそんなものとは違います。
顔に出る。
少しずつその意味が分かってきた気がする。
20代のときには分からなかった。
近頃ようやくといった具合である。
だが、年を取れば分かるというようなことでもないと思う。
本を読み、本物の人と出会い、自分自身の生き方を変えてきた。
この過程があってこそ、なのだと思う。
毎日トイレ掃除218日継続
今日もトイレはピカピカだ。
ピカピカという表現が大好きである。
朝活146日継続
朝は6時からZoomセミナーだった。
技術を知るためではない。
生き方で気づきを得るために参加した。
学んだことを現場に還元していく。
ジム
肩周辺の筋トレを行った。
良い感じで刺激が入っているのが分かった。
最後に有酸素運動を20分間。
今日もいい汗をかいた。
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