毎日トイレ掃除223|朝活151|少年老いやすく学成り難し

【トイレ掃除】

少年老い易く学成り難し

藤尾秀昭・著『小さな修養論5』【致知出版社】より

少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず
未だ覚めず池塘春草の夢
階前の梧葉已に秋声

南宋の大儒者、朱熹の有名な詩である。
題は「偶成」。越智直正氏は
その著『男児志を立つ』の中で、
この詩をこう解釈されている。
「年をとるのは早いが、
理想を成就するのは難しい。
わずかな時も無駄にしてはならない。
石段の脇に繁るアオギリの葉が
秋の訪れでいつしか色づいているように、
自分自身が人生の秋ともいうべき
初老の時期にさしかかってしまった。
少年時代を楽しむうち、
早くも老境は迫ってくる」

「学」を単なる勉学ではなく
「理想」と捉えているところに、
古典を生きる糧とされてきた人ならではの独自性がある。

歴史を辿ると、
一寸の光陰を惜しんで
学んだ多くの先達に出会う。

『福翁自伝』によると、
福沢諭吉は緒方洪庵の適塾での修業で、
布団を敷き夜具をかけ枕をして寝たことがなかった。
寝るのは机に寄りかかるか床の間を枕にするぐらい。
それほどに勉強したのだ。

江戸中期の思想家、自然科学者、
そして儒医の三浦梅園の少年時代を、
安岡正篤師はその著『青年の大成』でこう紹介する。

「先生(梅園)の始めて
絅斎(綾部有終)の門に入りし時は、
絅斎の年六十六歳なりき。
富永(大分県豊後の一村)より
杵築城下へは山越四里許なるを、
十六歳の一少年は日々経を抱きて往復するに、
常に跣足なりき」。

健気な少年の姿である。

「師絅斎、見て之を憐み、
家人に命じて草履を与へしむ。
少年謝して之を受け、
穿きて出づと雖も、
門を出づるや直に脱ぎ、
砂を払ひ、之を懐にして帰る。
翌日来るや跣足平日の如し。
而して師の門に至るや、
復た草履を懐より取出し、穿きて入る」

毎日十六㌔の道を裸足で歩いて勉学に励み、
師の家に入る時は師の厚意を無にしないように草履を履く。

少年梅園のこの姿に目頭が熱くなる、
と安岡師は述べている。

勝海舟もまた、「貧・骨に到り」と
表現するような極貧の中で勉強した。

「夏夜無く、冬夜衾無く、たゞ日夜机に倚って眠る」という毎日。

飯を炊くにも薪がなく
「自ら椽を破り柱を割いて」飯を炊いた。
「困難ここに至ってまた感激を生じ」
と日記に記している。

そういう生活の中で海舟は
オランダ語の習得に励んだ。
辞書は高価で手が出ないので、
借料を払って借り受け、
それを一年かけて二部写し取り、
一部は自分用。

もう一部は売って金に換えた。
学ぶべきは、この精神のタフさである。

ここで忘れてはならないのは、
先達の先達たる所以は、
若年期だけでなく、
生涯学ばんとする姿勢を貫いた、と
いうことである。

「業高くして廃せず等身の書」

という古言がある。

いかに学業を積んでも、
地位や身分がいくら高くなっても、
その時の自分にふさわしい書を持ち、
学び続けよ、ということである。

晩年の安岡正篤師もこんな一言を残している。

「老年廃せず少年の学」。

老年になっても若き頃に聖賢の人たらんと
燃えた情熱を失ってはならない、ということである。

人生は生涯をかけて自分を完成させていく修養の道程
朱熹の詩が教えているのも、
畢竟そのことである。

一言で言えば、学び続けるということだ。
だが、この一言を行動している度合いが想像を超えている。
福沢氏は、ふとんで寝たことがないという。
それほど勉強をし続けていたということだ。
若い頃だけ学んでいたわけではない。
青年期のみならず、老年期に入ってもなお学び続ける。
『人生は生涯をかけて自分を完成させていく修養の道程。』
一言で言えばこの一文だが、実行するとなるとどうか。
渇を入れられた。

毎日トイレ掃除223日継続

毎日磨けど汚れは無くならない。
心の汚れを取り除く。
傲慢さを取り除く。
謙虚さを忘れない。
それでいて、信念はもち続ける。

朝活151日継続

朝は5時過ぎ。
雨の中、傘をさしての散歩であった。
コーヒーと読書。
このような時間を過ごせることに感謝の心を忘れない。
誰かの役に立つために生まれてきた。
勉強することができる環境に生まれてきた今世だ。
人の役に立つために生きよう。

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