毎日トイレ掃除329|情熱にまさる能力なし

【トイレ掃除】

毎日トイレ掃除329日継続

今日はヒヤヒヤした瞬間があった。
車で道路を走っていた際、スリップしたのだ。
前日の雪が積もっていたのである。
レッカー車を呼んだ。
車を誘導してくださった。
親切な方だった。
困っている人に手を差し伸べてくださる方に出会えた。
ありがとう。
帰ってきてトイレ掃除。

情熱にまさる能力なし

『致知』は今号で創刊四十一周年になる。
縁あって創刊の準備から関わってきた。
『致知』一筋四十一年の人生である。

もとより浅学非才だが、四十一年、
祈るような思いで一号一号の編集に
取り組んできた。

創刊時も必死だったが、
四十一年経ったいまもあの頃にまさるとも
劣らない情熱が体の中に燃えていることを
四恩に感謝したい。

「人に大切なものは知識よりも
才能よりも何よりも真剣味であり、
純潔な情熱である」

安岡正篤師の言である。

情熱なきところ、いかなる能力も
開花するはずがない。

情熱はあらゆる創造の源泉である。

本号に画家の熊谷守一氏を取り上げたが、
この人は「狂」の字がつくほど絵に
情熱のすべてを懸けた、
絵と人生が一体になった人である。

世間はこの人を画仙(画の仙人)と評した。

芸術家であれ科学者であれ経営者であれ、
誰もが感嘆せずにはいられないような仕事を
成した人は皆、自らの仕事に
情熱の限りを尽くした人に他ならない。

去る七月八日、北尾吉孝氏率いる
SBIホールディングス創業二十周年を祝う会が
帝国ホテルで開催された。

創業時の社員五十五人、資本金五千万円。

それがいまは社員六千人超、
株式時価総額六千数百億円の会社となった。

二十年でこれだけの会社に育てられたのは
まさに偉業である。

会場で北尾さんの挨拶を聞きながら、
ある人の言葉を思い出した。

——「天才とは天の力を借りられる人」。

一代で偉業を成した人は皆、
天の力を借りられた人である。
エジソン然り二宮尊徳然り、
松下幸之助氏も稲盛和夫氏もそうである。

では、どういう人が天から力を借りられるのか。

その第一条件はその人が自らの職業に
どれだけの情熱を注いでいるか——
この一点にあるように思える。

「誰にも負けない努力をする」——
稲盛氏はこれを自らの信条とし、
人にも説いてきた。

「誰にも負けない努力」を氏はこう表現する。

「一点の曇りや邪心もない純粋な心を持って、
燃えるような情熱を傾け、
真摯に努力を重ねていくこと」。

「狂」がつくほどの努力、とも言っている。
そういう人に
「神はあたかも行く先を照らす松明を
与えるかのように、知恵の蔵から
一筋の光明を授けてくれる」

誰にも負けない努力とは、言い換えれば、
天が応援したくなるほどの努力、
ということだろう。

そういう努力をする者のみが
天の力を借りることができるのだろう。

二宮尊徳にもこういう言葉がある。

「おおよそ、人の勲功は
心と体との二つの骨折りに成るものなり。
その骨を折りてやまざれば必ず天助あり」

——おおよそ人の勲功は心と体と
二つの骨折りでできあがるもので、
骨を折ってやまない時は必ず天助がある。

そして、こう付け加えている。

「骨を折れや二三子(そなたたち)。
勉強せよ二三子」

先知先賢の一致して説くところを私たちも学びたい。

最後に、坂村真民さんの詩
「鈍刀を磨く」を紹介する。

鈍刀をいくら磨いても

無駄なことだというが

何もそんなことばに

耳を借す必要はない

せっせと磨くのだ

刀は光らないかも知れないが

磨く本人が変わってくる

つまり刀がすまぬすまぬと言いながら

磨く本人を

光るものにしてくれるのだ

そこが甚深微妙の世界だ

だからせっせと磨くのだ

情熱を持って生きることの大事さを説いて
珠玉の言葉である。

『人生の修養論5』【致知出版社】

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